「シャンティ」はインドの言葉で「平安」を意味する。 「シャンティ」であるならばなにもいらない、完全な満足、そんな状態。普通に生活する中で、常にそうありたいものです。
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■ 沖縄 1
2005年06月28日 (火) 00:11 * 編集
沖縄に行ってきた。

結婚式に呼ばれたのだ。新郎の友人としてだった。
会場に行って驚いた。広いのだ、小学校の講堂くらいあるように感じる。出席者数を数えると、約300人。うちらの地方では100人前後くらいが普通だから約3倍ということになる。実際、式場の広さも約3~4倍くらいあるように感じる。後で聞くと、300人というのは普通ということだ。多い時は、500人~600人の時もあるらしい。今回、新郎が沖縄の出身ではないので、確かに二人とも沖縄の人なら500~600人くらいいってもおかしくない。

新郎、新婦の入場だ。新婦はすごく幸福そうににこにこ笑っている。新郎は大変緊張しているのが伝わってくる。その緊張は、今、ここに、二人で入場できること、そのことのありがたみ、そうあることのうれしさ、そうあることへの恐れ・・・・たくさんの感情が入り交じったものだった。ゆっくりと歩んでいくそのスピードに、大勢の招待客の祝福の視線が絡みつく。歩みを進めるたびに、多くの仲間、知り合いに新たなスタートを始めた自分を顕わにしていく。その緊張の奥にある感情は、愛。
新婦の愛は、軽やかに自らの幸せを放射している。まだ20代半ばの若さが生命の力を撒きながら歩いていく。新郎は一度、結婚生活を破綻させ、40代半ばにして、新たなスタートをきる。普段は若く、冗談が好きでとてもそのような年齢には見えない。今も一見、二人の年の差が20あることには気づかない。非常にお似合いのカップル、バランスのいいつり合いのとれたカップルに見える。それでも人生の年輪は、その愛の重さとなって私を貫く。人生によるものなのか、緊張によるものなのか、新婦に対する愛と、新婦の愛をこれから受け止めていくことに対する覚悟、その難しさ、そのうれしさ、が緊張の奥にあることが一瞬にして伝わってくる。
「ああ、良かった。おめでとう、おめでとう。ああ、良かった、おめでとうおめでとう。」
胸に熱いものがこみ上げてきて、目頭が熱くなる。ああ、この感情に飲み込まれたら、泣いてしまう。こちらもいいおっさんなのに。必死に涙をこらえる。

新郎新婦紹介、来賓祝辞、乾杯と続き、
「かぎやで風」 http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/50019000.html
という祝いの舞が踊られる。新婦親戚のおばさんが沖縄の三味線(三絃(サンシン))曲にあわせて踊る。小学校の講堂の壇上のようなステージで踊られる。スピーカーから決していいとはいえない音質の音が流れてくる。音質は決して良くはないのだが、襲ってきた、愛が。沖縄の曲は深い。会場を満たしている愛の雰囲気が、この曲に乗って胸に流れ込んでくる。また目頭が熱くなり、涙がちょちょぎれて来る。いかん、いかん、泣いたらいかん。
昔、ネーネーズ http://homepage2.nifty.com/ryukyuko/html/shimauta-nenes.htm のライブを初めて見て、涙が止まらなかった経験があるのだが、それと同じ状態になってきた。ああ、やばい、泣いたらやばい。周りのみんなはいつもと変わらず、ごちそうを食べて談笑している。いかん、いかん、泣いたらいかん。
お色直しの最中に、今度は新郎の友人たちで「国頭さばくい( くんじゃんさばくい )」
http://www2.jimu.nagoya-u.ac.jp/minzokuonbu/e-kunjan.htm 
「首里城の正殿の造営等に用いる木材を山から切り出し運搬する労役」を元にした、ビデオが流された。
沖縄北部の国頭から木を切って、新婚家庭の家を造るために使ってもらおうと、この会場(那覇)まで運んで来るという実写版だ。みんな化粧をして、お笑いになっているが、町の助役(本人出演)に許可証をもらうというシーンまである本格物。首里城の木を切った所で(ダンボールでできた)木を切る。長距離を5人で担いで運ぶため、10日くらいかかる。途中の、地点、地点をみんな木を担ぎ、裸足で、昔の服装で走っていく映像が続いていく。周りは車が走り、疲れたらコンビニで休憩する。数日が過ぎ、もうこんなことを止めようと仲間割れが始まる。「新郎のためじゃないか」とリーダーがみんなを殴ってみんなの目が覚める。気持ちが一つになり、運搬を再開する。普通じゃ言えないせりふ、シーンを、ギャグの設定だから言えてしまう。
このビデオのバックで流れているのが、「国頭さばくい ( くんじゃんさばくい )」。この曲は、ネーネーズの2枚目のCDに入っていた一番好きな曲だった。今流れている曲も非常にいい。また目頭が熱くなってきた。
いよいよ5人が会場に近づいてきた(ビデオの中で)、そして扉の前に来た。画面が黒くなった。
 きたきた。
扉が開いた。来たー、と思ったらトイレから帰ってきた人だった。
扉が開いた。そして今度こそ、5人が木を担いで入ってきた。
「わっしょい、わっしょい、わっしょい、わっしょい」
首里城を造る場所から運ばれた(ダンボールの)御神木が入ってきた。神の力が入っているように感じた。ライブの力恐るべし。
またまた愛が流れ込んでくる。目頭が熱くなる。いかん、いかん、泣いたらいかん。
それにしても異常だ。沖縄になんかの因縁があるのだろうか、きっとあるのだろう、と思う。
このままじゃ泣いてしまいそうだったので、したくもないのにトイレに行くことにする。扉を出ると、さっきの5人が記念撮影をやっている。そしてトイレに入ってきて、メイクを落とす。気持ちを落ち着かせようと、トイレに行ったに、逆効果だった。言葉をかけたかったけど、のどが詰まって言葉が出なかった。
 
出し物はまだまだ続いた。みんなけっして上手ではないけれども、一つになってお祝いしようという気持ちがびんびん伝わってくる。
新郎友人のスピーチが終わり、新婦友人のスピーチが始まった。中学校、大学が同じの友人だった。スピーチを始めようとして、すぐに声が出なくなった。感激でのどがつまり声が出ないのだ。必死になって、スピーチを続けようとする。けれども声は出ない。「がんばれー」と声援が飛ぶ。その声が逆に抑えている気持ちを刺激する。内容は良く聞き取れないが、その気持ちが直接胸に響く、流れてくる。こっちも、目頭が熱くなり、こらえきれないような感情になってしまう。新婦はそれを聞いて泣いている。ああ、友人はいいな、と思う。

壇上でエイサーが行われる。生の太鼓の音が体に響く。沖縄の音が再び襲ってくる。
続いて、カチャーシーが踊られる。踊りたい人が舞台に進んでいく。友達につられて自分も行く。本当はすごく行きたかった、けど踊れない、初めてだから、でもこらえきれなかった。なんかすごくうれしくて、切なかった。踊った。胸が熱く、体が熱かった。

そして、花束贈呈。
新婦が両親に感謝の気持ちを読む。
「今まで育ててくれてありがとう。こんなに大きくなったよ。今からお嫁になるよ。お父さん、お母さん、ありがとう。」途中で声が詰まる。また「がんばれー」の声援が飛ぶ。必死になって感謝の気持ちを伝える。それを聞いて、こちらも泣きたくなる。感謝の気持ちが、愛の気持ちが、そのまま伝わってくるから。
人は素晴らしい。愛を育てているから・・・・ と思う。

新郎が謝辞を述べた。この披露宴で特別の役をした人一人一人の名を全て挙げ、感謝した。出席した全ての人に感謝をした。サポートしてくれたホテルの人に感謝した。
堂々とした感謝の言葉は、心の底からのものだった。
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