「シャンティ」はインドの言葉で「平安」を意味する。 「シャンティ」であるならばなにもいらない、完全な満足、そんな状態。普通に生活する中で、常にそうありたいものです。
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■ 沖縄とトリイ 1
2005年07月09日 (土) 01:13 * 編集
 沖縄では鳥居を見かけることが非常に少ない。
 国道58号線とその反対側、那覇から南へぐるりと一周したけど、記憶にあるのは、空港から那覇市内へ入る時川の手前右側にある護国神社、那覇から斎場御嶽(セイファウタキ)へ向かう途中右側にある神社の鳥居、普天間神宮の鳥居、この三つしか記憶にない。
 本土では、神社は至る所にあるので、鳥居の姿はあちこちに見ることができる。特に田舎の方に行くと、少し小高い山の上やその入口に、鳥居のある風景を探すのは難しくない。ドライブしていると自然とそのような景色が目に入ってくる。
 沖縄において神社に相当する聖地は御嶽(うたき)と言われる。御嶽は入口に鳥居はなく、建物や御神体がないことが普通であるらしい。斎場御嶽にも鳥居はないし建物もない。久高島の御嶽に以前行ったが、草むらの中にぽつんと空間が開けていただけだった。今回古宇利島の御嶽に行ったが、鬱蒼とした蛇でも出そうな森の中を進むと木の途切れた空間が広がりそこが御嶽であった。空間の向かいは岩の壁になっており、その岩は海の岩、ぼこぼこ穴の開いた岩であった。斎場御嶽の壁も同じような岩であった。そのような岩があるところが御嶽に選ばれたのか、そもそも沖縄の岩があのような岩なのか、それはわからない。岩の種類は、宮崎の鵜戸神宮の岩が似たような感じを伝えてくれる。
 神社も元々は建物が無く、鳥居の起源もよく分かってないらしい。奈良の大神神社も拝殿だけで、本殿はなく、山全体が御神体になっている。神社の中には、本殿の建物があっても、神が降りてくる場所は縄で囲って、建物を築かず聖域として保っているところもある。
 聖地としての原型は沖縄の御嶽が保っている。

 神社は古代からの聖地が神社になったものと、実在の人物を祭るもの、この二つに大きく分けられるように思われる。古代の神々は人として活躍されている。神の時代が終わり人の時代になっても、死ぬことにより、神として祭られる(太宰府天満宮、明治神宮・・・)。実際、神社は古墳の上に建っていることも多いし、下は古墳ではないかと思われる場所に建っている神社は多い。

 沖縄の風景があっさりしているように感じられるのは、鳥居が見あたらないことが大きな要素を占めているように思える。それは例えば、インドにおいてお寺、仏教寺院、ヒンドゥー寺院を問わず、あっさりしている、何かが足りないように思っていたが、それはお墓が無いからだと気づいた感覚に私の中では似ている。

御嶽(うたき) http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/10008000.html
鳥居 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85
神社 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%A4%BE
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