「シャンティ」はインドの言葉で「平安」を意味する。 「シャンティ」であるならばなにもいらない、完全な満足、そんな状態。普通に生活する中で、常にそうありたいものです。
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■ アシュラム
2006年05月30日 (火) 23:28 * 編集
アシュラムとはインドにおける霊的修行の場所のことを言う。

アシュラムは2カ所行ったことがある。
サイババの所(プッタパルティ、プラシャンティ・ニラヤム)と、マタンガにあるあるアシュラム、カリダスババというサドゥーがいた、場所はハンピにある。

サイババの所は一つの小さな村みたいな場所であり、どの位の人が生活しているのかな?、1000~2000人くらいは常時いるのかな? 小さな地区ならすっぽり入るくらいの大きさだ。

一方マタンガのアシュラムは、カリダスババがアシュラムと言っていただけで?ババの住む小屋のことだ。そこをアシュラムと言っていたのだ。同じ宿に泊まっていた日本人の人と一緒に遊びに行っていた。たまにドイツ人の青年が、弟子だといっていたか、一緒にいることもあった。

そこでなにをするかというと、なにをするわけでもないのだ。ただいっしょにチラムを回すのだ。
カリダスババはシヴァ派のサドゥーだった。いつもほとんど切れ目なしに大麻を吸っていた。彼はインド人の痩せた老人で、白く長い髪と、白く長い髭を持っていた。英語もほとんど話せなく、話せる言葉は「ゴー」「カム」くらいだった。
私たちを呼びかける言葉は「ババ」であった。
「ババ、ゴー」
「ババ、カム」
「ババ、シャンティ?」
「シャンティ」という言葉は、カリダスババから教わったようなものだった。
最初は意味が分からなかった。
ババといっしょに過ごす内に「シャンティ」とはある意識の状態を指す、呼んでいることに気づいた。
平和な気持ち、満たされた気持ち、穏やかな気持ち・・・・
それらを合わせて、そうまったりした気持ち、当時はそんな言葉なかったな・・
ラブ・アンド・ピース
そう、それは冗談でも、観念でも、概念でもなく、
ただそうある状態。
それが「シャンティ」なのだ。

カリダスババはいつも落ち着いていて穏やかだった。
偉そうな所は全然なく、少し猫背でとぼとぼ歩いてたように記憶している。
ババとは会話をほとんど交わしていない。
ババは当然日本語がしゃべれなく、私の現地の言葉をしらず、お互い英語もほとんど出来なかったから。
ただ一緒にいて、チラムを吸ったり、お菓子を食べたり、ご飯を食べたり、なにもせずに座っていたりする。
ただそれだけ。
話をする必要はなく、話さなくてはならないという気持ちもほとんど起きなかった。ただただ、穏やかな時間を一緒に過ごしただけだった。
ただそれだけで満足していたのだ。
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