「シャンティ」はインドの言葉で「平安」を意味する。 「シャンティ」であるならばなにもいらない、完全な満足、そんな状態。普通に生活する中で、常にそうありたいものです。
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■ 固い芯。心の芯。
2006年01月01日 (日) 06:16 * 編集
平成18年、2006年、1月1日になりました。
このブログにおつきあいして頂き、読んで下さっている方々、ありがとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

 閑話休題

 最初にインドへ出かけてもう11年が経つんだな。早いものです。
 その時、一人の青年から「シコオさんには芯が残っていますね。固い芯が。もう大丈夫ですけど」と言われた。「芯とは何か、固い芯とは」と疑問に思った。心のこわばりのことを言っているのだろうと思ったが、何のことを言っているのかリアルには分からなかった。
 言われた場所はサイババのアシュラム内であった。その後色々浄化されたと思えるような体験があったりして(おれは生まれ変わった)、それまでの自分自身がいかにひどい状態、精神的肉体的にあったか、ということが分かり、そこから脱した自分はもう芯を持っていないと思っていた。
 しかし、「生まれ変わった」というのは幻想で、実際は全然変わっていなかった。ただ生まれ変わったと思えるような状況、状態は経験できたので、そこが一つの目標点、基準点にはなっていた。
 まあ、そこから徐々に歩んできたわけだが、三歩進んで二歩下がる、ひょっとしたら二歩進んで三歩下がるかも・・・だが。
 昨年末になって、ようやく「芯」を見つけた。発見した。
 ああ、なんてことでしょう、11年経ってようやく見つけたのです。
 「芯」は心の芯であったのでしょうが、心の芯は体に表れます。少なくとも私はそういう体質を持っているみたいです。全身ががちがちに固まっていた私であったのですが、それを徐々にほぐしていき、ようやく心の芯が固まっている状態を、自ら検知できるようになったようです。
「心の芯」はみぞうちに固い固まり、まさしく芯として存在していました。
ああ。このことを言っていたのだなー。やっと実感として捕らえることができたのです。

本当は全てが愛なのです。この世の全て、全身の全て、が。
ただ胸が一番敏感であるから、愛は胸で感じるのです。

逆に全身が硬い鎧に包まれていたら、芯を感じることはできません。だって、全身固いんですもの。

全身の硬さがほぐれてきて、ようやくその中心にあった芯が浮き出て来れたのかもしれません。

芯はまだあります。気付いた時は、気になっていたけれども、生活の忙しさに翻弄されている時は気付きません、気になりません。

「も う 大 丈 夫 で す 。
こ れ か ら は 安 心 し て ゆ っ く り 歩 ん で い き な さ い」

と言われたことを思い出しました。
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