「シャンティ」はインドの言葉で「平安」を意味する。 「シャンティ」であるならばなにもいらない、完全な満足、そんな状態。普通に生活する中で、常にそうありたいものです。
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■ 大切なこと 1
2005年12月17日 (土) 01:17 * 編集
私は動物として非常に弱いと思います。
別にどこか具合が悪いところがあるわけじゃない。身体的に欠けているところがあるわけではありません。
しかし心は非常に欠けたところがあるように思えます。
自分で自分を信じることができない。好きになることができない。
それでも生きていくことはできます。
ただし、そのような人間にとって、生きていくことはそれだけで非常に苦しいものです。苦しい状態を慰めてくれるものに救いを求めます。私の場合はそれは、本と音楽でした。お酒の味を覚えてからはお酒が加わりました。人とうち解けることが困難で、ほとんどの人とは話が合いませんでした。私が安心して話ができる相手とは、自らを否定している人間でありました。(私から見てそう思える人間)今、そう思えると書きましたが、正確に言えばそれは思うものではなく、感じるものであります。自分を否定している人間は怖くないのです。自分を肯定している人間を、私は怖いのです。それはある種、動物的本能といっても良いと思います。
ここで最初の一文に戻ります。私は動物として非常に弱いと思います。
まず犬が怖いです。学生の頃奈良に遊びに行った時、鹿が怖かった。鹿せんべいを奪われてしまいます。アヒルに追いかけられたこともあります。アヒルに餌をやる振りをして遊んでいたら、アヒルが怒って追いかけてきたのです。

それは何故か。自分で自分のことを嫌っていたからです。これは今の視点からの言葉であります。当時としても、言葉として「自分のことを嫌ってはだめだ」とは知っていましたが、本当の意味合いは分かっていなかったのです。
自分を嫌いな人間は常に不安です。そして常に怒っています。自分が受け入れられてないからです。
怒りはその攻撃の矛先を求めます。必ずどこかに、外か内かに、もちろん両方であるのですが。
だからそのような人間は他と接することを好みません。他と接すると負けてしまうから。傷ついてしまうから。引きこもりです。(もちろんそうでない人もいるでしょうが)

人は結局自らが受け取ったものしか現すことができません。ある意味単純な物理の法則みたいなものです。他の人から受け取ったものしか人に与えることはできないのです。他の人で一番大きな存在は親です。人は親から生まれ、多くの人は親から育てられます。その親の行動パターンをほぼそのままコピーして自らの行動形式を作っていきます。
この間『毒になる親』という本を読みました。
内容は、乱暴にまとめると、世の中では『毒』としか言いようのない親がたくさんいて、そのような親に育てられた子どもは非常に苦労する。そしてそれは当たり前のことなのだ、というものでした。親から愛されない子どもはたくさんいます。そして愛されていないその行為こそが愛と勘違いし、愛と思いこみ、破滅的な道を歩んでいきます。
どうして暴力的な男にばかり惹かれてしまうのか、親がまさにそうだったからです。そのような傾向の男、そのような香りのする男に惹かれてしまうのです。子どもは親から理不尽な行為を受けても、それが理不尽であるとは思いません(どこかにそれが理不尽であると知っている部分はあるにしても)。自分が悪いと思ってしまうのです。親から振るわれた暴力はそのまま別の他者に向かうか、悪い自分へと向かってしまいます。だってそれは仕方ないのです。人は自らが受けたものしか、返すことができないからです。
生まれたばかりの鳥におもちゃの動く鳥を見せたら、おもちゃの鳥を親と思ってしまいます。
ああ、鳥はなんて単純なんでしょう。いえいえ、人間も同じです。愛ではない行為を愛と思ってしまうんですから。
そして刷り込まれたものは、一生をかけて修正をかけていくしかないのです。
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