「シャンティ」はインドの言葉で「平安」を意味する。 「シャンティ」であるならばなにもいらない、完全な満足、そんな状態。普通に生活する中で、常にそうありたいものです。
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■ CD作り=箱庭療法
2005年07月29日 (金) 00:35 * 編集
音楽CDを作るのが趣味だ。
箱庭療法とはこんな感じ http://www.f5.dion.ne.jp/~with/hakoniwa.htm
ただし箱庭療法を実際に行ったことはないのであるが、CD作りがその代わりになってきたような自覚はある。それはどんな方法かというと単に好きな曲を順番に並べていき、好みのCDを作るという話である。単にマイ・ベスト・CD作りということを、ちょっと大げさに言ってみてるだけの話でもある。昔はカセットテープで行っていた。好きな曲を順番に並べていく。
つなぎ目、曲間を調整するため、何度も早送り、巻き戻しを行い、音のレベルを調整し、次の曲の始まりを見計らって、何度も何度もやり直したりする。
その次は、ターンテーブル(レコードプレイヤー)2台と、CDプレイヤー(普通の)2台とミキサーを買って、テープを作っていた。これで曲間をつないだりできるようになったのでかなり幅が広がったような気がする。ただしこれはリアルタイム一発勝負なので途中で失敗したらやり直しがきかない。ターンテーブル2台持ってはいるが、ヒップホップDJのようなスクラッチはできないし、せいぜいリズムに合わせてつなぐくらいだ。BPMを合わせることも結局できないままであった。
私の好きな曲は範囲が広く、だいたいあらゆるジャンルを聞く。テープも気分に合わせて色々な曲を入れるので、リズムでつなぐより、曲の雰囲気、曲の終わりと始まりの感じ等でつなぐことが多いので、曲をかぶせることができることは非常にありがたかった。

今はこの作業をパソコン上で行っている。何度でもやり直しがきくし、音のかぶせ方も自由にできるので、非常に重宝している。しかし、今はもう音をかぶせたりしないで曲の並びを重視して作っているので微妙な調整しか行っていない。そんなに時間がとれないということと、音楽に対する執着が以前ほど強くなくなっているからだろう。

久しぶりにそんなのりでCDを作った。 2005.7.27

1   M. S. Subbulakshmi 01 More To Giridha Gopal インド声楽の巨匠
2  カザルス 08 白鳥(サン=サーンス) チェロの巨匠(小学校の給食時間を思い出します)
3  三橋貴風と尺八ゾリステンJr 月の光  尺八によるドビュッシー
4   ジェフリー・シーゲル  前奏曲 ト長調 作品32-5 (ラフマニノフ)
5  james galway 03 Reverie (Debussy)           
6   Slava 03 ave maria (Bizet)                  カウンター・テナー
7  川畠成道  前奏曲とアレグロ_プニャーニの様式による(クライスラー)
8  J.P.ランパル マルティーヌ・ジェリオ 魅惑の夜明け 
9  j.j.バルビエ  ジムノペディ (サティ)
10 David Sylvian - The Song Which Gives the Key to Perfection インド ヴェーダ?の詠唱
11 ラフマニノフ  02 Lilacs, Op.21, No.5   ロールピアノシートによる本人の演奏
12 tomita isao 04-Clair de lune(月の光) シンセサイザーの古典
13 ヤン富田  summer song  スチール・ドラムによるデイブ・ブルーベック        
14 cocteau twins 10 Donimo   ロック イギリス ニュー・ウェイヴ
15 Toumani Diabate and Ballake Sissoko 08-Yamfa アフリカ マリ コラ(ひょうたんで作った弦楽器)非常に透明な音 これは絶対おすすめ
16 les baxter 2-19 The Left Arm Of Buddha   エキゾティック

2, 5, 6, 7, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 16
パブロ・カザルスの芸術Debussy for Relaxationベスト愛の悲しみカンファラフマニノフ・プレイズ・ラフマニノフ月の光MUSIC FOR LIVING SOUNDTreasureNew Acient StringsExotic Moods of Les Baxter
1. M. S. Subbulakshmi http://www.indo.to/log/archives/pickup.php?page=2
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■ 沖縄とトリイ 1
2005年07月09日 (土) 01:13 * 編集
 沖縄では鳥居を見かけることが非常に少ない。
 国道58号線とその反対側、那覇から南へぐるりと一周したけど、記憶にあるのは、空港から那覇市内へ入る時川の手前右側にある護国神社、那覇から斎場御嶽(セイファウタキ)へ向かう途中右側にある神社の鳥居、普天間神宮の鳥居、この三つしか記憶にない。
 本土では、神社は至る所にあるので、鳥居の姿はあちこちに見ることができる。特に田舎の方に行くと、少し小高い山の上やその入口に、鳥居のある風景を探すのは難しくない。ドライブしていると自然とそのような景色が目に入ってくる。
 沖縄において神社に相当する聖地は御嶽(うたき)と言われる。御嶽は入口に鳥居はなく、建物や御神体がないことが普通であるらしい。斎場御嶽にも鳥居はないし建物もない。久高島の御嶽に以前行ったが、草むらの中にぽつんと空間が開けていただけだった。今回古宇利島の御嶽に行ったが、鬱蒼とした蛇でも出そうな森の中を進むと木の途切れた空間が広がりそこが御嶽であった。空間の向かいは岩の壁になっており、その岩は海の岩、ぼこぼこ穴の開いた岩であった。斎場御嶽の壁も同じような岩であった。そのような岩があるところが御嶽に選ばれたのか、そもそも沖縄の岩があのような岩なのか、それはわからない。岩の種類は、宮崎の鵜戸神宮の岩が似たような感じを伝えてくれる。
 神社も元々は建物が無く、鳥居の起源もよく分かってないらしい。奈良の大神神社も拝殿だけで、本殿はなく、山全体が御神体になっている。神社の中には、本殿の建物があっても、神が降りてくる場所は縄で囲って、建物を築かず聖域として保っているところもある。
 聖地としての原型は沖縄の御嶽が保っている。

 神社は古代からの聖地が神社になったものと、実在の人物を祭るもの、この二つに大きく分けられるように思われる。古代の神々は人として活躍されている。神の時代が終わり人の時代になっても、死ぬことにより、神として祭られる(太宰府天満宮、明治神宮・・・)。実際、神社は古墳の上に建っていることも多いし、下は古墳ではないかと思われる場所に建っている神社は多い。

 沖縄の風景があっさりしているように感じられるのは、鳥居が見あたらないことが大きな要素を占めているように思える。それは例えば、インドにおいてお寺、仏教寺院、ヒンドゥー寺院を問わず、あっさりしている、何かが足りないように思っていたが、それはお墓が無いからだと気づいた感覚に私の中では似ている。

御嶽(うたき) http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/10008000.html
鳥居 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85
神社 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%A4%BE
■ トリイ・ステーション
2005年07月06日 (水) 23:30 * 編集
再度沖縄に行ってきました。
一番衝撃を受けた風景の画像をupします。
20050706232212.jpg

20050706232916.jpg


鳥居の向こうは米軍基地です。
トリイ・ステーション
torii-2.jpg

http://www.asahi-net.or.jp/~lk5k-oosm/base/torii.html
http://www.okinawaonline.jp/okas/guides/areatpx02/02topic/toriistation.htm
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/okinawa2.htm
基地の成り立ち(上から3/4あたりに説明あり)
■ シャンティとは?
2005年07月03日 (日) 01:21 * 編集
一人きりになった。
気候のいい時期だった。空は晴れているけれど、日差しは強くなく、
朝の空気はすがすがしかった。
 
突然、それは起こった。 

圧倒的な至福感と圧倒的な静けさに包まれた。

悟った。
ああおれは悟ったと思った。悟りを開いたと思った。
全てが分かった。

ただ在った。全てがありのままそこに在った。
完璧だった。
あるべき所にあるべきものが在った。
全てに意味があった。
愛だった。

そうか、そうだったのか、このために生きていたんだ、と思った。
涙が出てきた。胸が熱かった。

景色は別に変わって見えたりしてなかった。視覚は正常だった。
いつもと同じように視覚的には見えるのだが、意味合いは違った。全てが完璧だった。
ただ在った。岩や木や山や雲、空、全てが完璧だった。全てに意味があった。
 
しばらくして少し冷静になって考えてみた。分かった全てが分かったという思いが奔流のように溢れてきていた。
その合間を、分かった全てが分かったというがなにが分かったのか、と考えてみた。そしたらなにも分かってなかった。

ただあるのは、全てが分かったという圧倒的な思いだけだった。思いに圧倒されていた。あるのは完璧な世界だった。
見える範囲、世界は完璧だった。全てがただ在った。在るだけで完璧だった。そしてそれは愛だった。

愛という言葉はばかばかしい言葉だと思っていた。しかし、ただ「愛」としか名付けられないような状態がここにはあった。
愛があった。愛だけがあった。

『シャンティ’95』ハンピ より
http://www.geocities.jp/minakatasikoo/
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