「シャンティ」はインドの言葉で「平安」を意味する。 「シャンティ」であるならばなにもいらない、完全な満足、そんな状態。普通に生活する中で、常にそうありたいものです。
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■ 上原知子 りんけんバンド
2005年06月30日 (木) 01:15 * 編集
りんけんバンドのライブを見た

結婚式の2次会が終わった後、“カラハーイ”に行った。りんけんバンドの音楽的拠点のライブハウスで、ライブを見ながら食事もできる、料理もおいしいということであった。同じく結婚式に招待された友達計4人で出かけた。ティンク・ティンクを見ることが目的だった。アルトのCMにでているのかな? ティンク・ティンクは週に6日間くらい出演していた。
8時半を15分ほど過ぎた頃、目的の場所に着いた。タクシーの運転手が場所を知らず少し迷ってしまった。入口に近づくとドラムとベースの音が響いてきた。懐かしい響きだった。ライブはもう何年も経験していなかった。
今日のライブはりんけんバンドだった。
ラッキーだった。(ティンク・ティンクも見たかったのですよ。旬の魅力が楽しめたはずです。) りんけんバンドは月に2,3回しかライブを行ってなかった。8時半開始なので既にライブは始まっていた。席も満席で立ち見で良ければ入場は可能であった。ワンドリンク付きで2000円、ラストオーダーは終わっていた。みんなお腹がすいていただろうが、どうせだから見ていこうということになった。私は一人でも見るつもりであったが、みんなといっしょに見れて良かった。
上原知子はネーネーズを教えてくれたOさんが一番好きな沖縄の歌手だったのではないかと思う。「No1は上原知子だね」と言っていたのを憶えている。
ライブハウスの客層は30代以上の人々が多いように感じたが、初老の方から子ども、赤ちゃんまでいた。前の方には、りんけんバンドサポーターと書かれたおそろいのTシャツを着た人たちが固まって座っていた。けっこう常連の人が多いような感じだった。

上原知子の歌が始まった。
うまい。すごくやわらかい。
ネーネーズのユニゾンのような微妙な揺らぎとバイブレーションはなく(一人だから)、背筋がゾワゾワっとはこないが、背中ではなく、胸に来る。胸一杯に暖かさが広がる。声のやさしさ、愛に、包まれる、胸がいっぱいに包まれるのを感じる。
愛は言葉にすることができません、でも感じることはできます。

バンドも長年ライブで鍛えているから、まとまりがあり、曲で、話で、芸で会場を盛り上げる。お客さんに還暦を迎えるなじみの人がいて、その人のちゃちゃとその受け答えが地元のバンドで、みんなに愛されていることを伝えてくる。

その日、6月25日は、上原知子さんの誕生日だった。記念に花束が贈呈された。

会場一杯に、愛が、胸の暖かくなる愛が満たされたライブだった。

ライブ終演後、店の前でファンとの交流の時間が設けられていた。
一番新しい上原知子のソロアルバム 『うまち』 を買ってサインをしてもらった。
「ああ、胸がいっぱいですごいです」と、訳のわからないことを、上原知子さんに言って、
「だいじょうぶですか」と声をかけられ、
「今日は知子さんの結婚式に出て、ここに来たら、知子さんの誕生日で、ちなみにうちの嫁さんもトモコといいます」と、ばかなことを言って、
「そうですか。奥さんを幸せにしてあげて下さい」
という、ありがたい御言葉を頂戴することができました。

次の日、車の中で聞いた 『うまち』 は、アコースティックで、やわらかく、ひじょうにやさしい音でした。

B0002J56ZIうまち
上原知子

by G-Tools

カラハーイhttp://www.rinken.gr.jp/index.html
上原知子http://homepage2.nifty.com/ryukyuko/html/shimauta-tomoko.htm
りんけんバンドhttp://homepage2.nifty.com/ryukyuko/html/shimauta-rinken.htm

細野晴臣'93年のCD『メディスン・コンピレーション MEDICINE COMPILATION』 7.マブイ・ダンス#2 MABUI DANCE #2 沖縄民謡仲島節 がアンビエントになっています。誰が歌っているんだと思ったら、上原知子でした。これが意識していいと思った最初の上原知子。今となってはめずらしくないかもしれませんが、衝撃でした。メディスン・コンピレーション
メディスン・コンピレーション

おすすめCD
琉球レアグルーヴ ~Shimauta Pops in 60's -70's
琉球レアグルーヴ ~Shimauta Pops in 60's -70's
http://www.polystar.co.jp/contents/release/data/2003_08/MTCH1056.html
http://homepage2.nifty.com/ryukyuko/html/shimauta-minyou.htm上から3枚目です。
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■ ネーネーズと 沖縄の歌と バカボンのパパ
2005年06月29日 (水) 23:23 * 編集
もう13年ほど前の話だ。
職場の上司が、「ネーネーズのライブに行かないか」と誘ってくれた。その上司、Oさんは、沖縄が好きで、ネーネーズとは沖縄のグループとのことだった。「ネーネーズ?」 初めて聞く名前だった。なんかふざけた名前に聞こえたので、お笑いのグループかな? とも思った。Oさんはお笑いも好きで、お笑いのライブにもよく行っていたからだ。Oさんは、酒が好きで毎晩のように飲みに行っていたが、私を誘うことはまずなかった。非常に珍しかったので、ひょっとしたら初めて?また非常にいいよと言うので、ネーネーズのことはよく知らないまま付いていった。 
場所は六本木のピットインで、2枚目のCDはまだ出ていなかったと思う。
舞台に沖縄の衣装を着た、おねえさん4人組が出てきた。そしてバレーボールの監督みたいなおじさんも出てきた。この人が知名定男だったのだが。
そしてライブが始まった。
歌が歌われた。声が流れてきた。ユニゾンで歌われる4人の声の響きが私を直撃した。
背筋がゾワゾワした。
ああなんか全てが許されていた。
「これでいいのだ、これでいいのだ」といわれている気がした。
歌詞の意味は沖縄の言葉なのでほとんど理解できてはいなかった。
ただ涙が溢れてきた。涙はとどまることを知らなかった。恥ずかしいから、何度も泣くのを止そうと試みるのであったが、その努力は無駄であった。
ライブの間中ずっと泣いていた。そんなことは初めてだった。
ライブ会場はそんなに広くなく、かなり前の方に座れていた。私は一番通路側に座っていた。
ライブの最後の方で、「テーゲー」が歌われる時、ネーネーズはお客さんにコーラスを求めた。

♪テーゲー小(ぐわー)ヤサ テーゲー  (ネーネーズ)
♪テーゲー小(ぐわー)ヤサ テーゲー  (お客さんコーラス)

泣きながらいっしょにコーラスした。途中でネーネーズが客席に降りてきて(ライブハウスだから目の前だけど)お客さんにマイクを向けて歌わせた。泣きながら歌っていたせいか、単に席が良かったからか、マイクが私にも向けられ、歌わされてしまった、2回も。(密かな自慢でした)

テーゲーを漢字で書くと「大概」だそうだ。
歌詞の意味を確認すると、

物事をそんなに思い詰めても なるようにしかならない
何とかなるさ 
どうにかなるさ 

という意味であった。
まさに、
「これでいいのだ、これでいいのだ」
のバカボンのパパ状態であった。

当時は精神的にかなり無理をしていた時期であった。
自覚は無かったのだが、今から思えばそうとう無理をしていたように思う。


残念なことに、ネーネーズのCDを聞いても、背筋がゾワゾワしない、鳥肌が立たない。もちろん、悪いことはなく、良い、普通に聞けば非常に良いのだが、ライブで感じるあれ、鳥肌、はない。ライブバージョンを聞いてもいっしょだ。単に、生との違いだからしょうがないと言われてしまえばそれまでだが、大切な何かが録音、あるいはマスタリングの過程で消えてしまっているように感じられる。一度FMのゲストに出演しているのを聞いたことがあって、余興でちょっとだけマイクの前で歌ってくれた。ゾワゾワっときた。鳥肌がたった。FMの音は広がりが感じられるから、そのせいかもしれないのだが。
ネーネーズも代替わりをして最初のメンバーは残っていない。今は2代目になっている。2代目のネーネーズはまだ聞いたことはない。(近々聞く予定ではあります。)

ライブに誘ってくれたOさんとはその後、10年以上接触がなかった。そのOさんについて友人から連絡が入った。
Oさんが一週間以上会社を休んだ。しかも無断でだ。連絡も取れなかった。行きつけの飲み屋のマスターが、おかしいとOさんの部屋へ行った。Oさんは独身で一人暮らしだった。
部屋で亡くなっているOさんが発見された。
それから既に一年以上が立っている。




ネーネーズはこんなグループです
http://homepage2.nifty.com/ryukyuko/html/shimauta-nenes.htm
B00005IDHUIKAWU
ネーネーズ
インディペンデントレーベル 1991-04-10

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■ 沖縄 1
2005年06月28日 (火) 00:11 * 編集
沖縄に行ってきた。

結婚式に呼ばれたのだ。新郎の友人としてだった。
会場に行って驚いた。広いのだ、小学校の講堂くらいあるように感じる。出席者数を数えると、約300人。うちらの地方では100人前後くらいが普通だから約3倍ということになる。実際、式場の広さも約3~4倍くらいあるように感じる。後で聞くと、300人というのは普通ということだ。多い時は、500人~600人の時もあるらしい。今回、新郎が沖縄の出身ではないので、確かに二人とも沖縄の人なら500~600人くらいいってもおかしくない。

新郎、新婦の入場だ。新婦はすごく幸福そうににこにこ笑っている。新郎は大変緊張しているのが伝わってくる。その緊張は、今、ここに、二人で入場できること、そのことのありがたみ、そうあることのうれしさ、そうあることへの恐れ・・・・たくさんの感情が入り交じったものだった。ゆっくりと歩んでいくそのスピードに、大勢の招待客の祝福の視線が絡みつく。歩みを進めるたびに、多くの仲間、知り合いに新たなスタートを始めた自分を顕わにしていく。その緊張の奥にある感情は、愛。
新婦の愛は、軽やかに自らの幸せを放射している。まだ20代半ばの若さが生命の力を撒きながら歩いていく。新郎は一度、結婚生活を破綻させ、40代半ばにして、新たなスタートをきる。普段は若く、冗談が好きでとてもそのような年齢には見えない。今も一見、二人の年の差が20あることには気づかない。非常にお似合いのカップル、バランスのいいつり合いのとれたカップルに見える。それでも人生の年輪は、その愛の重さとなって私を貫く。人生によるものなのか、緊張によるものなのか、新婦に対する愛と、新婦の愛をこれから受け止めていくことに対する覚悟、その難しさ、そのうれしさ、が緊張の奥にあることが一瞬にして伝わってくる。
「ああ、良かった。おめでとう、おめでとう。ああ、良かった、おめでとうおめでとう。」
胸に熱いものがこみ上げてきて、目頭が熱くなる。ああ、この感情に飲み込まれたら、泣いてしまう。こちらもいいおっさんなのに。必死に涙をこらえる。

新郎新婦紹介、来賓祝辞、乾杯と続き、
「かぎやで風」 http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/50019000.html
という祝いの舞が踊られる。新婦親戚のおばさんが沖縄の三味線(三絃(サンシン))曲にあわせて踊る。小学校の講堂の壇上のようなステージで踊られる。スピーカーから決していいとはいえない音質の音が流れてくる。音質は決して良くはないのだが、襲ってきた、愛が。沖縄の曲は深い。会場を満たしている愛の雰囲気が、この曲に乗って胸に流れ込んでくる。また目頭が熱くなり、涙がちょちょぎれて来る。いかん、いかん、泣いたらいかん。
昔、ネーネーズ http://homepage2.nifty.com/ryukyuko/html/shimauta-nenes.htm のライブを初めて見て、涙が止まらなかった経験があるのだが、それと同じ状態になってきた。ああ、やばい、泣いたらやばい。周りのみんなはいつもと変わらず、ごちそうを食べて談笑している。いかん、いかん、泣いたらいかん。
お色直しの最中に、今度は新郎の友人たちで「国頭さばくい( くんじゃんさばくい )」
http://www2.jimu.nagoya-u.ac.jp/minzokuonbu/e-kunjan.htm 
「首里城の正殿の造営等に用いる木材を山から切り出し運搬する労役」を元にした、ビデオが流された。
沖縄北部の国頭から木を切って、新婚家庭の家を造るために使ってもらおうと、この会場(那覇)まで運んで来るという実写版だ。みんな化粧をして、お笑いになっているが、町の助役(本人出演)に許可証をもらうというシーンまである本格物。首里城の木を切った所で(ダンボールでできた)木を切る。長距離を5人で担いで運ぶため、10日くらいかかる。途中の、地点、地点をみんな木を担ぎ、裸足で、昔の服装で走っていく映像が続いていく。周りは車が走り、疲れたらコンビニで休憩する。数日が過ぎ、もうこんなことを止めようと仲間割れが始まる。「新郎のためじゃないか」とリーダーがみんなを殴ってみんなの目が覚める。気持ちが一つになり、運搬を再開する。普通じゃ言えないせりふ、シーンを、ギャグの設定だから言えてしまう。
このビデオのバックで流れているのが、「国頭さばくい ( くんじゃんさばくい )」。この曲は、ネーネーズの2枚目のCDに入っていた一番好きな曲だった。今流れている曲も非常にいい。また目頭が熱くなってきた。
いよいよ5人が会場に近づいてきた(ビデオの中で)、そして扉の前に来た。画面が黒くなった。
 きたきた。
扉が開いた。来たー、と思ったらトイレから帰ってきた人だった。
扉が開いた。そして今度こそ、5人が木を担いで入ってきた。
「わっしょい、わっしょい、わっしょい、わっしょい」
首里城を造る場所から運ばれた(ダンボールの)御神木が入ってきた。神の力が入っているように感じた。ライブの力恐るべし。
またまた愛が流れ込んでくる。目頭が熱くなる。いかん、いかん、泣いたらいかん。
それにしても異常だ。沖縄になんかの因縁があるのだろうか、きっとあるのだろう、と思う。
このままじゃ泣いてしまいそうだったので、したくもないのにトイレに行くことにする。扉を出ると、さっきの5人が記念撮影をやっている。そしてトイレに入ってきて、メイクを落とす。気持ちを落ち着かせようと、トイレに行ったに、逆効果だった。言葉をかけたかったけど、のどが詰まって言葉が出なかった。
 
出し物はまだまだ続いた。みんなけっして上手ではないけれども、一つになってお祝いしようという気持ちがびんびん伝わってくる。
新郎友人のスピーチが終わり、新婦友人のスピーチが始まった。中学校、大学が同じの友人だった。スピーチを始めようとして、すぐに声が出なくなった。感激でのどがつまり声が出ないのだ。必死になって、スピーチを続けようとする。けれども声は出ない。「がんばれー」と声援が飛ぶ。その声が逆に抑えている気持ちを刺激する。内容は良く聞き取れないが、その気持ちが直接胸に響く、流れてくる。こっちも、目頭が熱くなり、こらえきれないような感情になってしまう。新婦はそれを聞いて泣いている。ああ、友人はいいな、と思う。

壇上でエイサーが行われる。生の太鼓の音が体に響く。沖縄の音が再び襲ってくる。
続いて、カチャーシーが踊られる。踊りたい人が舞台に進んでいく。友達につられて自分も行く。本当はすごく行きたかった、けど踊れない、初めてだから、でもこらえきれなかった。なんかすごくうれしくて、切なかった。踊った。胸が熱く、体が熱かった。

そして、花束贈呈。
新婦が両親に感謝の気持ちを読む。
「今まで育ててくれてありがとう。こんなに大きくなったよ。今からお嫁になるよ。お父さん、お母さん、ありがとう。」途中で声が詰まる。また「がんばれー」の声援が飛ぶ。必死になって感謝の気持ちを伝える。それを聞いて、こちらも泣きたくなる。感謝の気持ちが、愛の気持ちが、そのまま伝わってくるから。
人は素晴らしい。愛を育てているから・・・・ と思う。

新郎が謝辞を述べた。この披露宴で特別の役をした人一人一人の名を全て挙げ、感謝した。出席した全ての人に感謝をした。サポートしてくれたホテルの人に感謝した。
堂々とした感謝の言葉は、心の底からのものだった。
■ 日本の終焉 1
2005年06月20日 (月) 23:54 * 編集
 日本が終わろうとしている。

 これには二つの考え方がある。
 一つは、世界が一つになったこと、つまりアメリカ主導のアメリカ帝国=世界という状態になりつつあるということ、これが今の姿。
 これは日本史にあてはめて考えてみると、わかりやすい。アメリカとソ連の東西の戦いは、関ヶ原の戦いが終わりアメリカが勝って、アメリカ幕府が成立した。戦国時代が終わってそれまでの国が藩として再編成されようとしている。国としての名前は残っても、意味合いが変わろうとしている。
 それまで戦争とは国と国との争いであったが、今の時点で戦争とは現在の秩序に対するテロとして位置づけされようとしている。
 世界が一つになったことで秩序は変わる。まだ練りあがっていないが、それぞれの国は生き延びようと新たな生き方を模索する。
 ヨーロッパはEUを拡大して対応しようとする。
 日本はアメリカの意志に逆らわないことを、鮮明に打ち出し、国としての防波堤を崩し、アメリカの力がダイレクトに日本の内に入ってくることを可能にすることをひたすら進めようとしている。
 イラク戦争に反対せず、アメリカべったりで進んでいるのは、アメリカに逆らわないという意思表示であった。
 構造改革の名の元に進められていることは、日本の市場がアメリカの資本のダイレクトな餌食になることを、政治と法の力で進めていくこと。甘い汁のおこぼれを吸わせることによって、この国の支配者層はその道を進んでいく。
 小泉政権が行っていることは、ごくごく普通の年収300万時代に実際に生きている者にとってはそう映る。
 日米構造改革で公務員の給与まで改革せよとアメリカは迫ったらしいが、そこを温存して、逆に官僚の力を使ってアメリカにとって都合のよい日本に変えようとしているように見える。

 学校で歴史を勉強している時、時代によって、政治がうまくいっていたよい時代、腐敗が横行し社会が乱れる時代、が交互に訪れていることは不思議だった。歴史は、昔の理不尽な差別や階級のある時代から、確実に進歩を遂げていると思っていた。
 しかしそんなことはなかった。
 時代が乱れるのは10年があれば良かった。まさに今のことだ。歴史が堕落に向かう様をまさにリアルに眺めることができる。歴史の授業で教えられたことをリアルに眺めることができているのが、現在だ。
■ はじめまして
2005年06月19日 (日) 23:38 * 編集
今日からブログを始めさせてもらいます。よろしくお願いします。

「今」「ここ」にあること、あり続けることができたらと思っております。
「今」「ここ」にあることが「シャンティ」だからです。

「シャンティ」=「平安」=「幸福」=「愛」=「バカボンのパパ」etc・・・・

そのための考察、考えたこと、感じたこと、などをつらつら書いていこうと思っています。
物事は全て、両面、二つの面を持ちます。
見る方向、角度によって違う側面、全然別のもの、逆のことが現れる場合さえあります。
そんなことをうまく書くことができればと思っています。
具体的に言えば、
内側  「心」「体」「神」・・・・
外側  「日本」「世界」・・・・

では、流れていきたいと思います。
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