「シャンティ」はインドの言葉で「平安」を意味する。 「シャンティ」であるならばなにもいらない、完全な満足、そんな状態。普通に生活する中で、常にそうありたいものです。
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■ 肉の世
2011年04月04日 (月) 23:47 * 編集
肉を生きているんだ。
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■ 肉
2011年04月04日 (月) 23:44 * 編集
肉だよ、肉
■ 手塚治虫
2009年01月31日 (土) 00:32 * 編集
NHKを見ました。
プレミアム10「手塚治虫 漫画 音楽 そして人生」

素晴らしかったです。
ジャングル大帝、リボンの騎士の音楽が富田勲で、素晴らしい音楽だったんですが、
元々手塚治虫自らが富田勲のところに電話をかけてきて、「作ってくれないか」と依頼してきたそうです。富田勲と言えば、「月の光」等シンセサイザー作品が有名ですが、「月の光」が1974年。ジャングル大帝が1965年ですから、それよりずっと前ですね。今日の料理の音楽をすでに作曲されているのですでに有名ではあったのでしょうが、素晴らしい人選です。

ジャングル大帝のオープニングは本当に素晴らしい。あの音楽、絵、そして色合い。日本で初めてのカラーのアニメとのことですが、あの時代でしか出せない色合い。アフリカの夢と動物の夢、人類と動物の共存共栄、ある意味あの時代でしか作ることの出来なかった作品ではないでしょうか。
ジャングル大帝のあの色味を見るとき、思い出させる連想させるのはマイルス・デイビスの作品「ビッチェズ・ブリュー」あのジャケット。時代は下りますが同じ空気を感じるのは私だけでしょうか。それは新しい何かが始まるときの始まりの色合いなのかもしれません。
その意味では富田勲の「月の光」、カラーは違いますが、始まりの胎動に満ちたアルバムではないでしょうか。YMOのファーストとか。この月の光は数多い月の光の中でもベストトラックの一つに数えられるのではないでしょうか。名演です。あの音のまろやかさは、番組の中で坂本龍一が「手塚治虫の描く曲線に音楽を感じる。音楽の優美さ柔らかさを手塚は好み、それがあの優美な線として現れた。手塚の描く動物、女性」(うろ覚えなので間違っていたらごめんなさい)

手塚治虫は仕事中に大音量で音楽を流し続けていたそうです。レコードをかけながら仕事をしていた。藤子不二雄Aがときわ荘時代ジャングル大帝の最終回のアシスタントをしたそうです。四畳半の部屋の中でレオや動物たちが山の中で吹雪に巻き込まれ皆死んでいき、ひげ親父だけが助かる、そのシーンの吹雪を延々と描き続けていたそうです。その時流れていた音楽が、チャイコフスキーの「悲愴」、狭い部屋の中で延々と描き続け、音楽が大音量で流れ続ける中、いつしか自分が漫画の中で遭難する探検隊になったかのような気分になり涙が溢れ出て止まらなくなったそうです。

音楽の中に入り込む。これが手塚治虫の漫画に描かれる音楽の表現のポイントだと思います。
それは音楽だけではなく、ロボットなどでも。手塚が小学生時代に描いた昆虫の絵があります。これが小学生の絵かと驚く上手さですが、それも対象に潜入することにより描かれたものであるからなんでしょう。

手塚治虫はLSDを体験したことがあったのでしょうか。その可能性は充分あると思います。昔はLSDも違法ではなく合法であったため、実験として摂取した著名人もいたそうです。(加藤清の本による)。その中の一人に手塚が入っていてもおかしくないけれども、それならそういうエピソードは漏れ聞くはずですが寡黙にして知りません。手塚の絵を見るとき、この人はノーマルなのか?と疑うような場面がたまにあります。「火の鳥」のロビタが溶鉱炉に入っていくシーンとかetc・・・。

でもそれはそうでなくても逆に不思議ではないのです。番組の中で坂本龍一が言ってましたが「手塚は多くの生と死を見てきた」戦争の体験者です。そして医者でもある。昔のドキュメンタリーの中で、手塚は3日間で3時間の仮眠を取っただけで原稿を書き続ける。3本の原稿を同時進行していく。それじゃナチュラルハイになってもおかしくない。

話が矮小化してしまったようです。
続きを書かないといけないようです。
■ 菅野美穂 インド ヨガ 聖地への旅
2007年12月31日 (月) 00:32 * 編集
やっと見れました。昨日NHK総合で深夜やっていました。

「ヨガ」はやっていますね。
ヨガは体を使うものですが、もともとは「結びあわせる」「ひとつになる」という意味だそうです。
リシュケシュのシバナンダ・アシュラムで日本人の指導者の女性の方が語った言葉が印象的でした。
「ヨガをやっても体だけで終わる人が多い、本当は体を忘れるものなのにね」といっていました。
ヨガで結びあわせるものは、心と体、番組中でも言っていましたが、そこにもう一つ本来結びあわせるべき対象がある。
そう神様です。
神と一つになること、それがヨガなのです。
だからヨガはいろいろなヨガがある。体を使うものもヨガですが、知識のヨガ「ギャーナ・ヨガ」、親愛のヨガ「バクティ・ヨガ」etc・・
シバナンダ・アシュラムで教頭先生が語った言葉が印象的です。
「ヨガは世界中にある。正しい行いをして、皆が幸福になる。それがヨガなのです」
ちょっとうろ覚えですが、このように言ってました。
「正しい行い」日本人が口にすることを一番躊躇する言葉の一つではないでしょうか。
「正しい行いをしなさい」ブッダも言いました。
あまりにもあたりまえですが、このあたりまえのことの衝突から争いが起こったのも事実です。
そしてその結果、日本人は「正しいこと」自体が存在しないとの錯覚、(そう錯覚なのです)に陥ってしまっているように思えます。

菅野美穂はヨガが体だけのものでないことに気づいていきます。
それはインドの人々の生活から感じたことも大きく影響します。
そういえばリシケシュに来ている若者はなんと自由なんでしょう。実際どうかは知りませんが、
非常に懐かしく、普段あまり見れない感じの若者たちでした。(ウエスタンの方々でしたが)
日本で感じる閉塞感はここにはありません。

菅野美穂はインド最終日に、アシュラムをシバナンダと共に築いてきたスワミ・チダナンダに会いに行きます。
93歳と高齢で健康状態が優れないから会えないと断られていたのですが、会いに行きます。
そして会えます。
チダナンダさんは存在です。
存在に触れること、これに勝る幸せはありません。
チダナンダさんは菅野美穂にこういいます。
「太陽礼拝をしなさい、日本人は太陽を拝むだろう」
「太陽は日本から昇り、次にインドを照らす」
天照大神様、黒住宗忠を思い出しますね。

「生きとし生けるものが幸せでるように」
それがヨガなんですね。
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